こんにちは、ウキツです。
先日(2019年4月某日)、滋賀県にある佐川美術館に行ってきたので美術館レビューししようと思います!!
今回、始めて佐川美術館へ行ってきたのですが、なかなか綺麗なところでした。
なんせ、建物の作りが凝っている!
美術館の壁はコンクリート造りですが、よく見ると木目があるんですよ!
普通の、つるっとしたコンクリートの板で作らず、木目の形ができるものを使ったのでしょう〜。
こだわり強い建物です。
佐川美術館
佐川美術館は、琵琶湖の近くにある、少し町から離れた場所に建っているんですよ。
佐川美術館は、佐川急便株式会社創業40周年事業の一環として、滋賀県・守山の地に開館致しました。水庭に浮かぶ様にたたづむ建物は、和の印象を重視した切妻造の2棟の平屋で、それ自体がアート。周辺の自然環境とも調和し、風景、建物、作品が一体感ある美しさを醸し出しています。
引用:佐川美術館イベントガイド
この時開催されていたのは、
木梨憲武展とART 手づくねと轆轤(ろくろ)でした。
木梨憲武展を見に行きたかったので、わざわざ佐川美術館まで行ってきたというわけであります。
入場料は安い方!
まず、入場券を買うところ。
いわゆる門です。
この日は、晴天でとても風が強く
美術館の周りの湖(堀?)の水面が激しく揺れていました。
美術館は水面からニョキっと?
まず、門をくぐってから結構驚きます。
だだっ広い広場の続きで水面が広がっているんです。
どれが美術館の建物か迷います。
奥にも、建物が・・・。あとでわかりますが、茶室です。
これが、美術館本体の建物。
手前と、奥の二つの建物なんですよね。
水際、近くからの写真。
とても、綺麗ですよ。
水面で光が反射して、屋根の方にも光が入って来るんです。
佐藤忠良とは誰ぞ?
早速、佐藤忠良のブロンズ彫刻に出会います。
明治45年、宮城県黒川郡生まれ。彫刻家。少年時代を北海道で過ごし、絵画を学ぶために上京するが、ロダン、マイヨール、デスピオなど新しい生命主義の作品に感銘を覚え彫刻家を志す。東京美術学校(現東京藝術大学)を卒業後、新制作派協会(現新制作)を舞台に活躍。
昭和19年に兵役に招集、終戦後のシベリアでの抑留生活を経て帰還後に制作を再開。その体験から、平凡なごく普通の日常生活の中でほんの一瞬だけ垣間見る「人間の美」を追求した作品を多く手掛ける。
昭和56年には、パリの国立ロダン美術館で日本人初の個展を開催。
その功績により、フランス・アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙されるなど、国際的にも高い評価を得ている。
そして、細い通路を歩いて、美術館の入り口まで
途中、水面上に展示されているのも、佐藤忠良の鹿のブロンズ彫刻。
逆光で、形がはっきり見えませんね・・・・。
すいません。。
そして、やっと佐川美術館の入り口まで来ます。
これまた、味のある看板だ事!!
木目とかもこだわって、一級品のを使っているのだろうな〜〜
常設展示
佐川美美術館では、日本画家の平山郁夫と彫刻家の佐藤忠良、陶芸家の樂吉左衛門の作品が数多くコレクションされていました。
普段は佐藤忠良の展示ブースが今回、木梨憲武展に占領されていました。
Aのホールにも彫刻が二体置かれており、受付やクロークなどもありました。
右の通路に行けは、樂(らく)茶碗の展示。
左に行けば、平山郁夫の作品展示。
奥の建物では、佐藤忠良の作品がある構造になっています。
今回は、木梨憲武展の割合が多くなっている様です。
こっちは、樂茶碗の展示への道です。
樂吉左衛門とは誰?
昭和24年、京都市生まれ、陶芸家。
日本独自の陶芸・樂焼の家系の十五代目。
昭和48年に東京芸術大学美術学部彫刻科を卒業後、イタリア留学を経て昭和56年十五代吉左衞門襲名、現在に至る。
桃山時代に樂茶碗を造りだした初代長次郎以来、400年余りの歴史と伝統を継ぐ樂家十五代当主として、伝統に根ざしながらそこに安住することなく、常に斬新な感覚を示す造形美の世界を表現し続けている。
国際陶芸アカデミー会員。
暗く、神聖な感じの地下室に展示されています。
伝対的に、凝った建物です。
ほんとすごい!!!
この柱は、なんでしょかね?
写真撮っていい場所だったんで、撮っときました。
写真撮れる場所が限られているのでこの先はNG。
奥には、楽茶碗が数多く展示されていました。
楽茶碗の展示の奥には茶室が!庭から見えますが、今回は立ち入り禁止でした・・・・。
湖に半分埋まっている様な作りなんです。
平山郁夫の展示場所は、全面写真撮影NGなので
残念ながら、無しです・・。
平山郁夫とは誰??
昭和5年6月15日、広島県瀬戸田町生まれ。日本画家。 昭和27年に東京美術学校(現東京藝術大学)を卒業後、前田青邨に師事し、主に院展を舞台に活動。 昭和20年の夏、広島での被爆体験がきっかけとなり、「平和を祈る心」を仏教伝来の道シルクロードに重ね合わせ、昭和43年以来「シルクロードシリーズ」を描き続ける。
また、作品制作活動のほか、世界文化財赤十字構想を提唱し、人類の文化遺産としての文物保護活動への協力を事業目的の一つに挙げて活動。 「敦煌研究センター」の建設などに協力、敦煌の石窟群の保護などの活動を通して10年間で計50人を中国から招き、修復技術を伝授。 日本と中国の文化交流を深めるなど、国内外から高い評価を得ています。 また、日本美術院理事長を務めるかたわら、日本人初のユネスコ親善大使やアフガニスタンの支援活動など多方面で活躍。
2009年12月2日、79歳で永眠。
中間の廊下から中庭、ならぬ中池を撮影。
不思議な建物です。
海の上に立ってる様な・・・
そして、木梨憲武展
こちらも、撮影禁止の為入り口だけです。
入ってすぐ、カラフルな星の作品に出迎えられます。
木梨憲武って誰?
1962年、東京生まれ。
とんねるずとして活躍する一方、アトリエを持ち画家としても活動している。1994年に「木梨憲太郎」名義で名古屋で開催した初個展『太陽ニコニカ展』から日本国内では今回で実に9度の個展を開催。2015年にはニューヨークでも個展を開き、話題になった。
もう一つの、池の中の佐藤忠良の彫刻です。
佐藤忠良の作品は、今回特別展示室に置かれていました。
こちらも、撮影禁止。残念・・・。
三種類の行き方
街はずれにある佐川美術館は、少し交通機関を利用して行くには難しい場所にあます。
自動車
琵琶湖の近くに、立っている美術館は大抵のお客さんは車で来ていました。
佐川美術館へ行くには、車を持っていれば比較的簡単にいけます。
JR堅田駅
僕は、電車を使い移動していたので堅田駅に着いてから、少し困りました。
というのも、バスの時間がすぐ来る様な場所ではなかったのです。
時間がもったいなかったので、したかなくタクシーを使いました。
途中、琵琶湖大橋を通過した為か、約2500円もかかってしまいました。
(ほんとは、バスで行くべきだった・・・。)
堅田駅から佐川美術館
JR守山駅
帰りはJR森山駅から帰りました。
美術館から、バスで20分ほど揺られながら琵琶湖の南側
とにかく、バスの本数が少なくて待ち時間多いです。
まとめ
今回のまとめとして、
あまり行く機会が無かった美術館に今回始めて行けました。
市区町村が運営している、美術館よりも展示空間や所蔵作品のこだわりがあり、とてもいい刺激になりました。
雰囲気的に似ているのが、京都の大山崎山荘美術館です。
こちらは、湖の美術館、大山崎の方は山の美術館ってな感じでしょうか。
交通の弁が、あまり良くないのですが
時間に余裕があるなら、足を運んで見ても良い美術館かなと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。久し振りの投稿で、記事の書き方を忘れていました。読みづらい点、申し訳ありません。
ちょいちょい、直していきます。
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