自分の時間を生きる!彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ

アート

抽象彫刻の父と言われる、ブランクーシ 。晩年のロダンの具象作風から反して抽象度を押しあげた作品を作った彫刻家。

彼の作品を初めて見たのは、静岡県立美術館でロダン館を見に行った時のことだった。

本館からロダン館をつなぐ廊下に10数個の彫刻作品が並べられていた中(マイヨール、ブルーデルと一緒)に展示されていた。

今から思えば、ロダンに関わりのあった作家の作品が並べられていた。

心拍数が上がり、じわっと手に汗を感じるほど興奮した。ブランクーシの作品に出会えるとは思っていなかっだからだ。

写真でしか見れないものに突然出会えた時の感動は、何歳になっても忘れられない。

小学生の頃、手に入りにくかった映画「エイリアン」のフィギュアをホビーショップで見つけた時と同じような感動だ。

ポガニー嬢Ⅱ

 

ポガニー嬢

ポガニー嬢

静岡県立美術館に所蔵されている。

めかした様に感じる顔を少し傾けた女性の頭部像。女性の丸みを純粋に際立たせるため、形を単純化している肖像彫刻。そして、磨き上げることによって形が引き締まり具象像の中でひときわ存在感を放っていた。

制作されたのは1925年。素材は磨きブロンズと砂石。57.0×18.0x26.0cmと小ぶりな作品だ。

モデルはハンガリー出身の画家志望の女性、マージット・ポガニー。

ブランクーシ の作品はどれも単純な形で表現されている。ポガニー嬢などの頭部でよく見られる。人の形が卵の形に作られ、生命の始まりを感じさせられる。

デフォルメされた大きな目は、現代日本アニメや、そのフィギュアなどにも通じるところがあると感じる。

フィギュアの顔の作りを冷静に分析すると。

口鼻目の位置が、下の方に作られている。顔の輪郭は大人の縦長よりも子供の丸い輪郭に似ている。

そして、目が大きく作られていることによって、可愛らしく見える。

キューピーの人形を思い出して欲しい。光を斜め上から当てて表面の肌の流れをよく観察すると、かなりかわいい。(これは妻も共感してくれたこと)

ポガニー嬢の輪郭は、卵型であり。目が大きいく、おちょぼ口、鼻立はしっかりと作られている。

子供のあどけない表情と大人の女性らしさが混ざっているように思う。

実際の作品を、ぐるりと回りながら観ると。全体の形も卵型に近く、滑らかな膨らみを目で追っていくのが楽しい。

そして、時代を考えると「よく手仕事のみでここまで磨いたな!」と関心してしまう。(現代のような磨く機械は無い時代と推測する)

コンスタンティン・ブランクーシ 

1900年代を生きたルーマニアの彫刻家。ちょうど1904年にライト兄弟が初の飛行を成功させた。日本は明治時代の中ごろ、日露戦争があった。

ブランクーシは巨匠オーギュスト・ロダンの工房で働くが、2ヶ月で辞める。憧れていたが、逆の道を選び作風を抽象化へ舵を切る。代表作「空間の鳥」や「無限柱」 がある。

同じ作品を、何回も作っており。少しずつ形を純粋な抽象形態に変化させている。

「空間の鳥」の初期は、しっかりと鳥の頭部らしい形が見て取れるのだが、中期ごろから、鳥の「飛ぶ」というイメージを作品に込めるべく、プロペラの様な形に変化していった。

初期は人物像をモチーフにしていたが、じょじょに動物をモチーフにした作品が登場し、「飛ぶ」ことや空への憧れを感じる作品が多くなっていった様に僕は感じる。

時代背景がそうさせたのではないだろうか?

ちなみに、ブランクーシ が「ペンギン」を作ってあるのだが、僕はかなり気に入っている。初めて見てもペンギンと分からなかったが。よく見ればそう見えるから面白い。

「抽象ではない。具象を作っている。ただ単純化しているだけだ。」とブランクーシ本人が語っているらしい。

影響を与えた作家には、イサム・ノグチ(6ヶ月間ブランクーシのアシスタントをしている)やカール・アンドレ(アメリカのミニマル彫刻家)抽象美術の純粋性を推し進めた。

抽象について

一見すると抽象的な形であっても、叙情的(感情を述べ表すこと)よりも叙事的(事実を述べ表すこと)だと考える。

なぜなら、彫刻はどれも本質的だからだ。作品は作者の意識(存在理由)=本質が込められている。

 

抽象化とは社会の中で言い換えると、特定の個人→人類→ほ乳類→動物→生物。このように、情報量の多さで階層化できる。

情報量の多い時を「抽象度が低い」といい、情報量が少ない時を「抽象度が高い」という。

 

よく「具象的」と「抽象的」という言葉が使われる。これは作品の表面処理方法の違いだ。

ブランクーシの作品は、人や動物の本質(存在理由)、モチーフたちの「意識」を作品に込めたのだろう。

その頃の日本

1900年代の日本は明治時代の中頃、近代化=西洋化がもっぱらの日本の目標になっていた。

「美術」という言葉もこの頃作られた。

西洋の美術という技術や考えが輸入され、西洋との比較と伝統の意識から「日本画」という区別が生まれた。

1887年に「東京美術学校」が設立された。(現在の東京芸術大学)1905年に学科を再編成し日本画・西洋画・図案・彫刻・金工・鋳造・漆工の7科になっている。

関西では、1880年に「日本最初京都画学校」が作られている。(現在の京都市立芸術大学)

明治と言えば、仏師、彫刻家の「高村光雲」が油粘土に興味を持った話を「光雲懐古談」で読んだ事がある。

ブランクーシの作品を所蔵している美術

作品は、日本国内にいくつかある。

パリには、ブランクーシのアトリエを再現した展示がある。行ってみたい・・!!

福岡市美術館

「雄鳥」

福岡市美術館/所蔵品の紹介/主な所蔵品

静岡県立美術

「ポガニー嬢Ⅱ」

ほ|静岡県立美術館 全所蔵作品

滋賀県立美術館

「空間の鳥」など多数所蔵

コンスタンティン・ブランクーシ | 滋賀県立近代美術館

ブランクーシ のアトリエ 

フランス、パリ ポンピドゥーセンターの横 作品多数

L'atelier Brancusi – Centre Pompidou

まとめ

マルセル・ディュシャンやマン・レイとも交流があったとされ。

抽象やコンセプチュアルな作品が多く輩出された時代の作家だ。

空への憧れから、プロペラの羽の様な形までに変化した「空間の鳥」は、技術の発達によって新しい場所や空への期待感を表した「時代を象徴した作品」に思える。

こうした、具象から抽象そして、コンセプチュアルアート(概念芸術)へと美術史が変化していく。その始まりのような作家が生まれ始めた頃、日本では、やっと油絵や油粘土の存在が広められつつある時期だったことはかなりの衝撃だ。

そして、アメリカのミニマルアートに多大な影響を与えた。

次回の記事は、ミニマリズムについて書こうと思う。

コツコツ続けること

ブランクーシは、コツコツ続けたからこその彫刻家、全ての仕事に当てはまる事だが続ける事が大事だ。

「空間の鳥」を作っている作品の完成年数を見ると約10年磨き続けている。

他の作品も並行して作っていたとしたら、いったいどれだけの時間を磨く作業に使ったのだろうか・・・

現代人の時間感覚の流れは、年々早くなってきている。

周りの早さに惑わされず、「自分のための、自分の時間を生きる事」を心がけて生きたい。

 

参考資料:ファブリ世界彫刻集11 ブランクーシュ 平凡社版 東野芳明   /西洋美術の歴史 創元社 著 H・Wジャクソン アントニー・F・ジャクソン 訳 木村重信 藤田治彦   /造形思想 ちくま文芸文庫 パウル・クレー /哲学用語図鑑 プレジデント社 田中正人  /Constantin Brancusi      The Museum of Modern Art     MoMA 

 

次に読んで欲しい記事 「ミニマル・アートと『モノ派』アメリカと日本の時代背景

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