第二次世界大戦(1945年)が終わり約20年前後のこと。
アメリカでは、「工業製品を組み合わせただけ」、「鉄板を床に敷き詰めただけ」
「工場で作られた鉄の箱を並べる」という様なとてもシンプルな美術表現が現れた。
代表的な作家として、ドナルド・ジャッド、ロバート・モリス、カール・アンドレらが挙げられるだろう。
1957年(3月16日)に亡くなった。彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ の影響は、その後どのように発展したのだろうか?
日本の歴史とアメリカの歴史を比較しつつ見てみようと思う。
ミニマリズム
ミニマル・アート(Minimal Art)は、視覚芸術におけるミニマリズム(Minimalism)であり、装飾的・説明的な部分をできるだけ削ぎ落とし、シンプルな形と色を使用して表現する彫刻や絵画で、1960年代を通じておもにアメリカ合衆国で展開した。先行するコラージュを駆使した抽象表現主義を批判的に継承しつつ、抽象美術の純粋性を徹底的に突き詰めた。
形態、色彩を最小限に単純化(ブランクーシの思想を推し進めてと言っても良い)・還元しようとする表現。
美術で使う場合によって、ミニマル・アートと呼び、文学、音楽、演劇などの他のジャンル(種類)を呼ぶ場合は、ミニマリズムと呼ぶ。
1960年代から1970年代初頭にアメリカで起こった。1954年までの第二次世界大戦後の芸術の一つ。
1940年代後半から1960年代に展開された、抽象表現主義の思想(考え方)を受けついだため、出きるだけ作品を見やすく邪魔な要素を無くし、モノとして見せることで、「純粋に見ることが出来るモノ」(ただ見ることが出来る)へと作品を立ち戻らせる意味を強く持つ。
言い換えると、よりシンプルに表現することで作品をモノに戻すこと。
ミニマル・アートの特徴
ドナルド・ジャッドは、元抽象表現主義の画家、美術評論も行っていた。工場で作らせた手仕事性をなくした、金属製の直方体の箱を並べた作品が有名だ。「絵画でも彫刻でもないある一つの物体」という概念。 鑑賞者目の前にあるその物体が「今、ただここにある」 ということが美しいとする。
ロバート・モリスは、フェルトを切り刻み展示した。その場でしか、意味をなさない作品。
カール・アンドレ、ブランクーシに影響された木材を積み上げた作品や、鉄板を床に敷き詰めた作品、また建築用ブロックを床に敷き詰めた作品などがある。
ミニマル・アートを継承する作家に、リチャード・セラ、アンソニー・カロがいる。
批評家のマイケル・フリードによって、ミニマル・アートは「演劇的だ」と批判された。
なぜかというと、普通のギャラリーや美術館(ホワイトキューブ)に展示されているものは、いつみても同じ状態で見ることができるのに対して、
ミニマル・アート のような、全く同じ作品を色々な場所で展示できる作品(工業製品や工場で作っているため)は、映画を何度も見れるようである。
そして、その場でしか表現として成立しないことを考えると「演劇的だ」となるのだろう。
時代背景
この、美術表現が広まった時期のアメリカと日本は何があっただろうか。
アメリカ
1960~1975年までベトナム戦争があった。
日米安全保障条約が結ばれる。
1963年、ケネディ大統領暗殺。
1969年アポロ11号、人類発の月面着陸。
1970年代にマイクロプロセッサのパーソナルコンピュータが登場し、小型化されはじめ、一般的に広まり出した。
日本
1960年代、和暦では、昭和35年から昭和44年だ。
「高度成長期」急速な工業化により、環境破壊も起こった。
「水俣病」「イタイイタイ病」などの公害病が発生していく。
1960年1月19日、日米安全保障条約が結ばれる。
1963年、日本初アニメ(鉄腕アトム」放送
1964年、東京オリンピック
1960年代の日本の美術家たち
1950年代後半にアンフォルメル(フランス語で「非定形」を意味する言葉。激しい感情表は「熱い抽象」と言われる。)が輸入。反対に、構成主義などの幾何学的の抽象表現は「冷たい抽象」と言われる。
具体美術協会という、関西を中心とした前衛美術団体が1954年に結成されている。吉原治良(じろう)、嶋本昭三、山崎つる子、吉原道雄、村上三郎、白髪一雄など。
1960年代前半に、ネオ・ダダ(反芸術的作品)の輸入。篠原有司男、三木富雄、荒川修作など。
1960年代後半に、ミニマリズムが輸入!!冷たい外観に反動し、自然物を取り入れた土着外観の『モノ派』ができた。
『モノ派』の代表的な作家は、関根伸夫、李禹煥(りーうーふぁん)、榎倉康二、斎藤義重、小清水漸など
日本文化に隠れたミニマル性
戦後の日本で、1960年代ごろから高度経済成長期だった。もちろん、芸術の情報も次々、日本に入ってきた事だろう。
おそらく、ものすごい量の新しい情報がなんらかの方法で日本に伝わってきた。(推測だ。)
海外留学から帰ってきた芸術家が大半の情報源だったのだろうか。
となると、海外の美術史が順に日本に入ってきたわけではなく、一気に社会のシステムや、見た目がどんどん変わっていったのではないか?
そして、日本独自の美術発展というものはあまり起こらず、伝統を守る者と、海外からの影響による前衛的な(アバンギャルドな)者達の二極化が起こったのではないか。
そして、ミニマルアートが輸入され。
日本独自の『モノ派』が生まれる。
1960年代後半から、日本で始まった現代美術の流れの一つ。
アメリカのミニマルアートに少しずれて起こった。
手法は似ている。
しかし、ミニマル・アート は工業製品が目立ったが、
『モノ派』では
「“つくることを制限し、つくらぬ外部を受け入れる”」
という、作ること=文明、作らぬこと=自然を組み合わせる新しい表現を試みた。
評論家の峯村敏明によれば、『モノ派』とは、芸術表現の舞台に未加工の自然的な物質・物体(いか『モノ』と記す)を素材としてではなく主役として登場させ、モノの在りようやものの働きから直に何らかの芸術言語を引き出そうと試みた一軍の作家達を指す
引用:「現代日本史 日本編1945ー2014」 著・中ザワヒデキ アート ダイバー出版
“石、木、紙、綿、鉄板、パラフィンといった〈もの〉を単体で、あるいは組み合わせて作品とする”ことから、カールアンドレ的なブロックを並べる作品や、木材を組み合わせる作品と似ている。
ただそこに、日本的な文化、自然物が入っている違いがあると考える。
『モノ派』は詫び錆びの文化を継承しているのかもしれない。
桂離宮の詫び錆び文化と『モノ派』
もう少し、詳しく書きたいので。別の記事にかくとする。
参考資料:現代美術のキーワード100 著・暮沢剛巳 ちくま新書 / 「現代日本史 日本編1945ー2014」 著・中ザワヒデキ アート ダイバー / 日本彫刻の近代 淡交社 / 西洋美術の歴史 著・H・Wジャクソン、アンソニー・F・ジャクソン
この記事のまとめ
1960年代は世界的にも、戦後感が終わり新たな世界へと発展して行った時代だろう。
パソコンが、普及しだし今のインターネット時代(高速情報過多時代)に突入して行く。
もちろん、芸術の発展はこの年から変わりました!というような明確な線引きができることはなく、色々な思想が折り重なって出来ている。
美術史を勉強していると、どのくらいアメリカと日本の文化速度の差があるか、何と無くわかる。気がする・・・。
次回は、少し時代を戻って『モノ派』の日本的な部分を探して見ることにする。
最後まで、読んでいただき「ありがとうございました!」
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