2006年8月
大学四回生の夏
何か物足りなさを感じていたオレは
「何か凄い体験がしたい、どこかに行きたい!」
テンション高めで夜中の12時に思い立ったのだった。
・・・・・岡本太郎美術館を見に行こう!
当時、京都の大学に通っていたオレはそこそこバイトもしていたし、足は250ccのYAMAHAビラーゴを所有していた。
お金と移動手段はある。
「行ける!大学最後の夏、バイク一人旅でが出来るぞ!」
と、その日の夜中3時に京都の下宿を出発した。
道中は決して楽な道のりでは無かった。
節約のために高速道路を使わず東京を目指していた。
国道1号線だ。
当時は、スマホが普及する前で日本地図を片手に(いま思うとかなり無謀・・・)地道を走っていた。
実は、オレの読みがかなり間違っていて一日で行けると踏んでいた。
結果的に二日かかってしまったのだけれども・・・
誰にも連絡せず向かったので、道中知り合いを思い出し連絡をして寝床を確保すると言う荒業で乗り切った。
(当時泊めてくれた、従兄弟と友人には今でも感謝してる)
一日目
午前3時に出発して、岐阜辺りの道の駅で朝日を見つつ仮眠を取った。
昼過ぎには、名古屋を通過し、夕方には静岡に入ったが、この静岡が長かった!
富士山のふもとまで来た時、夜の11時頃だったが
この先の険しかろう、うねる山道を軽装備のまま突っ込むのは自殺行為だと、
その時直感的に感じたオレは、一旦冷静になった。
「一日で、行けると軽く考えていたオレがバカだった!」
「諦めて帰ろうか?いや、ここまで来たらあと少しで行けるやんかーー!」
「どこか泊まれるところを!!道の駅を探すかー!?」
「………ん!?」
「そういえば、いとこが静岡住んでたな?!」
「よし、ちょっと連絡してみるか!」
早速、携帯で電話!当時はガラケー。
プルルルル、プルルルル、プルルルル
(出ないか!さすがに夜遅いか~?)
電話したのは夜中の12時前
ガチャッ
「もしもし、夜分遅くにすいません。兄ちゃんですか?タカユキです。」
「はい?」
「あっ。京都のタカユキです~。」
「お!おお!どうしたんだ?こんな夜中に?」
この後、事情を話して自宅の場所を聞き一泊させてもらえることになった。
(今でも会うと、この時のエピソードを話される、まさかバイクで東京まで行くとはな!的な感じで)
「最後の青春〜〜」とか思いながら、軽い気持ちで家を出た21時間後にようやく安心して寝ることが出来たのだった。
二日目
朝6時頃にいとこ宅を出て、9時過ぎには芦ノ湖を眺めていたと思う。
かなり寝不足でバイクに乗るのも危険かと思ったが、美術館まであと少しだった。
今なら、スマホでその状況を記録出来たが、当時はインスタントカメラだったし撮っていたとしても残ってはいない、非常に残念だ。
そして昼過ぎには横浜の繁華街まで進めてこれた。
東京の友人の勧めでバイクを留めた(大型量販店の無料の駐輪場だ)東京の駐輪場は高いから、電車移動にした方がいいと言うことだった。
そこからは、電車移動!
もちろん電車では爆睡だ。
寝れる時に寝る!
旅の鉄則!
しかし、ここでもオレの誤算があった!
電車は時間を食う!!
目的の岡本太郎美術館付いた時刻
閉館15分前!!
なんと!?
15分!!しか無いの?
すごく苦労してここまで来たのに15分!!
マジっすか!?
でも仕方ない、全てオレの読み違いが原因だから・・・・
仕方なく、15分でさーーっと
見て回った。
今では、どんなものが展示していたのかあまり覚えていない・・・。
そりゃそうだ!15分しか見てないもんね!
朝ドラと同じ時間しかないしな!
一回見たいだけやと覚えれん!
15分で、目的を達成したオレはその日の寝床へ向かった。
埼玉へ!
もうこの辺は、疲れと眠気と未完の達成感でいっぱいで
あまり覚えて無いが、無事電車に揺られ埼玉の友人と合流した
友人と酒を飲みつつ、バカなオレの話をしてその夜は寝たのだった。
三日目
この日が一番過酷だった
疲れもピークに達していたにも関わらず東京から京都までこの日は、どうしても一日で帰らねばならなかった。
バイトがあったんで!?
幸い夜勤のネットカフェのバイトだったのでギリギリ間に合うかどうか・・・
なので、帰りは高速を使うしか他に選択肢が無った。
朝6時に埼玉を出て、電車で揺られ横浜のバイクを回収
昼過ぎには高速に乗って順調に見えたが、
ここからが過酷だった!
それは突然訪れる
富士山近くのトンネルを抜けた瞬間
ザーーーーーーーーーーーーッ
雨、雨、雨、雨、雨、雨、雨、雨、雷、雨、雷、雨
高速で、
250ccのバイクで、
雷雨で、
軽装備で、
走ってはいけない!!!!
死ぬ!!!
と思った。
20数年生きて始めて、死ぬかもしれない!
と、ほんとに危機感を感じた。
なんせ、前が見えないし、横を大型トラックが追い抜いて行くし、標高が高い場所だから片側崖だし、
もう、頭の中では次の日の新聞の見出しが想像されつつあった。
『20台の男性、高速の崖から転落』・・・・・
しばらく走って、パーキングエリアに避難し装備を整えた。
とにかく、名古屋辺りの分岐を過ぎるまで必死だった。
その間、雨が降った止んだり・・・
その後もパーキングエリアを見つけてはバイクを留め、体力の回復とバイクのガソリン補給
とにかく、「スリップしたら死ぬ!」と「寝たら死ぬ!」と何度も呪文のように心の中で唱えていた。
なんとか、京都に着いたのは夕方7時頃だったと思う。
そのまま一回家に帰ってシャワーを浴びて、眠気を振り絞ってバイトに行った。
今回のまとめ
計画はしっかりと立てないと、本当に命を落としかねないということを強く感じた出来事だった。
この体験をした後半年くらいは「オレなんでも出来る!」という変な自信が付いた。
命の危険を感じながらもその困難を乗り超えた時、人は自信をつける事が出来るようだ。
たまに、この体験を思い出す。
今のオレは、あの時のように自由に思ったことを即座に行動に移せているだろうか?
思ったとしても、先に頭の中で、今までの経験で考え、計算して、妥協したりしていないか?
もうしそうだとしたら、もう一度バカに戻っても良いと思うのだ。
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