勘違い人生の始まり!?気が付けばインドネシアにいた話

インドネシア

 

こんにちは~、ウキツです~!

気がつけば、インドネシアでした!

いやほんと、びっくりですよねぇ~~~

南国って!!!

ほんとは、アメリカとかオーストラリアとかが良かったんですけど・・・

せめて、シンガポールが良かったですよねー!

英語圏だし

赤道直下、ザ アジア!

インドネシアはインドネシア語!

ほとんど使い所が無いインドネシア語・・・

そして、何を勘違いしていたか?

と、言うのは・・・

「ウチって!お金持ち?」

でした。

これは、僕の生い立ちに関係する話なので興味無い人は戻って下さいw

 

 

勘違い原因その1、家がなんせ広い!

僕は生まれて気が付けば、インドネシアのバンドン市にいましたー

というのも、

父親が海外派遣、僕も産まれてからしばらくして

何もわからず飛行機に乗せられ、南に4819km離れた南国に運ばれちゃったんです〜

気が付けば…

白大理石(トラバーチン)の床で

天井も数mある

かなり広い家に居たのを覚えて居います。

 

 

勘違いの原因その2、メイドならぬ女中さんがいたこと!!

ボーイ(男性のお手伝いさん)が一名、

女中さんが多い時は三名ほど、

運転手が一名から二名雇われていました。

 

 

勘違いの原因その3、小学校は車通学!!!

小学校(バンドン日本人学校)は家から離れた山にあったので車通学です。

身の安全のため日本人は、みんな車通学でした。

僕は朝が苦手、車の中でも寝てしまったり、食パンを頬張っていました。

学校は、日本の先生が派遣され日本の子供と同じレベルの教育を受けていたと思います。

インドネシア語と英語の授業が早くからスタートしていました。

自由な校風で赤土の校庭には

ドリアンの木、ナンカの木、ヤシの木、ブドウの木、ジャンブゥの木

が植えられていました。

ここでも僕は、完全に勘違いしていました。

「ウチは、お金持ちだ!間違いない!!」

と・・・・

 

 

勘違い原因その4、何も考えていないバカだった自分!!!!

海外に住んでいたら、英語はペラペラにはなりませんでした・・

残念なことに、英語圏じゃなっかった(たとえ英語圏だったとしても、僕の脳では無理だろう)・・・・!!!

 

その頃の僕は勉強するより運動派(いい感じに言っておこう)だったので

「英語ってなぁに?美味しいの?」

ぐらい、何も考えて生きてませんでした。

ただただ、友達とドッジボールやったり、鬼ごっこしたりと、ひたすら遊ぶ毎日でしたね!!

楽しかったーーー!

 

 

もちろん、不便なところもあった

インドネシアは発展途上!

その頃のインドネシアは、発展途上も良いところ、路上には物乞いだって居ましたし。

みんな必死に生きる為にお金を稼いでいるようでした。

日本に帰って来て来た時は、子供ながらに

「なんて日本は豊かな国なんだーーー!!!」

と感動したもんです。

 

 

大学生暴動起こす!中学生の時に大統領交代!

中学生の時には、当時国を治めていたスハルト大統領が倒されて新しい大統領、新しい国になる瞬間に僕はその地に居ました。

印象に残ってるビジョンは車が逆さまになって燃えてたりしましたし、かなりの学生がこの暴動に参加していました。

それだけ、国に不満があったんだろうなぁ~

当時のことが載っている記事を見つけました。

1998年5月暴動 : その時、あなたはどこにいましたか? - インドネシアの経済・社会・株・情報 | いんどねしあ新聞
今から17年前の1998年5月12日、ジャカルタのトリサクティ大学では

 

 

子供の頃の記憶

子供の頃の記憶は、心の奥底に仕舞われていています。

自分はインドネシアでの優雅な暮らしをしているのに、ちょっと外に目をやれば貧困で困っている現地の人が居たり

 

そして、国が変わろうとする瞬間を体験できたりとかなり濃い時間だったと今は思います。

 

忘れられない大事な記憶、今はあの育った土地に何ができるのか・・・

と、少しづつ考え始めたところなんです。

 

なんとなく、まとめ

今の自分には、まだまだ力はないけど第二のふるさとであるインドネシアには

絶対!何か返してやるぜ!!!

待ってろよっ!

 

日本に帰って来てからのギャップの話はまた後日。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

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